20歳で亡くなった関根正二。2011/08/08 23:20

関根正二は大正時代の画家。

19歳の時に「信仰の悲しみ」を発表して注目を浴びるが、その翌年、20歳にして結核によって世を去る。

その短かった生涯のために、残る作品は少ないが、彼の作品は、近代日本の洋画史を代表するものといわれている。
 「信仰の悲しみ」は大原美術館にあり、重要文化財に指定されている。

 たかが19の若造が描いた作品が、、、、
という気がするが、うまい、へたとは違う魅力のある作品。

最初はピアニストだったアート・ブレイキー。2011/07/17 23:39

アート・ブレイキーは40年代から80年代にかけて活躍したジャズドラマー。率いるバンド、ジャズ・メッセンジャーズで、多くの若手を育てたことでも知られている。

実はアート・ブレイキーは、最初はピアニストだったそうだ。
ところが、彼の演奏するジャズクラブのボスが、ある日別のピアニストをつれてきた。その彼の方がうまいので、ボスは、アート・ブレイキーに言ったそうだ。
「おまえはタイコでも叩いてな!」
そうして、苦労して、ドラマーとしての技を磨き、認められるようになったという。

彼のアルバム「モーニン」は今聴いてもすごい曲だ。
苦労したからこそ、長い間バンドを率いて、若手を育てることができたのだろうなあ。

関東大震災の時に、酒を買いに走った男、古今亭志ん生。2011/07/11 23:51

古今亭志ん生は、1890年生まれの落語家。
昭和を代表する芸達者として知られている。

なにしろ、若いときから、酒とばくちが好きで、
いつも、貧乏の底で暮らしていた。
真打ち披露のためにもらった金も、
すべて飲み尽くして、
質素な身なりで披露に上がったとか。

それが、結婚した33歳の時に、
関東大震災にあう。
まだ揺れが治まらない中で、
家中の金をかき集めて、
酒屋に行って、酒を買い集めたという。

震災で、酒が飲めなくなると、
地震のさなかに思ったそうだ。

酒飲みもこのくらいになると、
立派なのかも。

菱田春草と中村不折。2011/07/08 23:55

菱田春草は長野県飯田市出身の、明治時代に活躍した日本画家。
従来の日本画に、西洋画の技法を取り入れた、斬新な作品を作るが、眼と腎臓を患い、37歳を待たずに短い生涯を終える。

この春草が飯田の小学校で学んだ時、図画の教師だったのが若き中村不折。
影響を受けたのかどうか判らないが、そんなところで、運命が交わっていたことに、興味を持った。

世の中は哲学者が多い?2011/06/24 23:40

誰が選んだのか知らないが、
世界三大悪妻というのがあるそうだ。

気が強かったクサンティッペ(ソクラテスの妻)
浪費家だったコンスタンツェ(モーツアルトの妻)
80歳になる夫を家出させたソフィア(トルストイの妻)

まあ、本当に悪妻だったかは、議論が分かれるところらしい。

ソクラテスの有名な言葉。
「男は一度は結婚した方がいい。
 よい妻であれば幸せになれる。
 悪い妻であれば哲学者になれる。」

ソクラテス風に考えると、
世の中は哲学者ばかりになってしまいそうだが、
そうでもないというのは、
意外と、悪妻というのは少ないのかも、、。